ニュースを見ていて、これからの日本の街ってどうなるんだろう。とぼんやり思った。
これから東北の多くの街はもう一度、作り直されることになる。
どんなコミュニティがいいのか。どんなコミュニティが強いのか。
あの津波の映像を見て、これなら、という案はとてもではないが浮かんでこない。
それでも、物流が止まったり、ガス・電気・水などのライフラインが止まったりしても大丈夫な街は考えていくべきかと思う。
私はそんな危機に強いコミュニティをラダックで体験した。日本でそれが再現可能かと問われれば、今はNOだと思うが、何があるか分からない時世じゃないか。
昨日母と納戸の中の非常用持ち出し袋、及び保存食なんかの整理をしていた。
その時に母が「ラダックに行って、何も変わってないなと思ってたんだけど。
非常用品の話をしはじめて、リスト作ったりしてるあんたの目の色が変わったのを見て、
もともとサバイバルみたいな地域に行った上に、被災してきたんだなぁって思ったわ。」と言った。
私も、そういえば私ラダックで被災したんだった、と思いだした。
でも洪水によって自分が何か変わったという気は毛頭ない。ただ、生き延びるには何が必要か、ということに興味が湧いたのは確かである。
まずは私が体験したラダックの洪水について書いてみたい。
2010年8月、大洪水が北インドのラダック地方を襲った。
8月20日時点で、洪水被害による死者は205人(うち外国人旅行者は6人)、負傷者は607人、行方不明者は約400人、被害を受けた家屋は945戸だったという。(どなたかそれ以降のデータをご存知でしたら教えてください。)
3500メートル以上の乾燥した山岳地帯であり、ヒマラヤ山脈の南側で雨雲がせき止められるために、滅多に雨が降らないところだ。
私はパキスタンに程近い岩山のど真ん中の小村、ハヌパタという村に3ヶ月暮らしていた。
人口は70人程度、15軒ほどの家が、こぢんまりと身を寄せあうように建っている。
標高は3700メートルほど、私がいたのは夏の3ヶ月だったが、一日の中にまさに春夏秋冬の寒暖差がある。夏でも朝夕薪ストーブは欠かせないが、日中になると洗濯物は一瞬で乾くような場所だ。
右を向いても左を向いても、岩山ばかりの険しい世界。
山奥から流れてくる雪解け水が、村人の暮らしを支えている。村人は上流から村まで10キロはあろうかという長い長い水路を山の中腹に走らせて、畑作を営んでいる。
標高が高く、小麦とコメが育たないので、大麦とカブ、キャベツなどの僅かな野菜を育てて、食の中心としている。



ほとんどの村人が、ヤギ・羊・ロバ・ヤクを飼っている。ヤギとヤクは乳を絞り、ヨーグルト、チーズ、バターなどを作る。もちろん温めてそのまま飲むこともよくある。羊は毛を刈り、糸を紡ぎ、布を織って服にする。ヤクの毛も織って、毛布を作る。チーズ、バター、羊毛、ヤク毛は、現金収入にもなる。
男たちは、農閑期の夏と冬は、中心都市のレーに大工仕事をしにいき、現金を得る。女たちは、トレッカーが多く通る村のキャンプ場を運営し、そこから収入を得ている。
私が初めて行ったハヌパタの初夏は、ようやく冬の雰囲気を払拭し、冷たい雪解け水が川をキラキラと流れ、その恩恵を受けた色とりどりの花があたたかい光の中で咲き乱れていた。こんな絶景の中で暮らせるなんて実感が沸かないな、と思ったことを良く覚えている。それくらい美しい村だった。
ただ、富士山より高いところで暮らすのだから、それなりのことはいろいろある。そのひとつが乾燥だった。私も行った当初は肌の乾燥が激しく、顔の表皮が固くなってひび割れ、現地の人に心配されるほどだった。現地の粘度の高い日焼け止めクリームをもらったら、コロッと治ったので、それもまた驚いたのだが。
それほどの乾燥の中に、異常をきたし始めたのは8月4日。
朝起きて部屋の外に出ると、屋根がなくオープンになっている部屋が水浸しになっていた。
屋根からはぽたぽたと垂れるしずく。
「アンモ、おはよう。あんなに雨降ってたのに起きなかったね。」
「えぇ、雨が降ったの!?」
「とってもね、雷も鳴ってたよ。」
「うそ~!」
確かに、外に出てみると道も濡れている。
私が起きなかったのは、その前日バスと車を乗り継いで、9時間以上掛けてレーから何とかかんとか、帰ってきたからだったのだが。(後から思えば、とてつもない幸運だった。2日後の次のバスでは、どこかの村で足止めを食い、おろおろしていただろう。バスが止まる村で予約なしで車をつかまえられたことも、ものすごく幸運だといわれた。)


その日はそれ以上のことはなく、アマツォクスパという村のお母さん互助会が運営しているキャンプ場でのんびりと過ごした。
夕方になってレーからNGO LEDeGのメンバーで、私の顔なじみであったツェリン姉さんとスタンジン兄さんが来たので、まだ濡れている床にござを敷いて、アマツォクスパのミーティングをした。
次の日、きれいに晴れ渡った空のもと、キャンプ場でワークショップをした。
と言っても、このキャンプ場でタギと呼ばれるスコーンのようなお菓子が売れないか、という検討を交えた試作(つまり外国人の私は美味しいかどうか、味見させてもらうイベント)と、価格の決め方やその記録の付け方をツェリン姉さんが教えていく、ピクニックのようなワークショップである。

昨夜の雨で、川原の緑は生き生きとしており、川は増水しているが、まだ透明度を保っている。みんなで円になって座り、タギを作って焼いていく。キャンプ場にいるトレッカーたちにもいくらかおすそ分けできた。
みんなタギでお腹いっぱいになり、幸せな気分で村へと帰ってから。
明るいはずの夏の夕方なのに、真っ黒な分厚い雲が空を覆い始めた。空の向こうで、稲妻が光っている。雨が降っているのも見える。
急いで外に出ると、みんな外にシートを持って飛び出してきていた。おばあちゃん、18歳のタシと手作りのはしごを登り、屋根に干していた杏を取り込み、ビニールのシートを掛ける。屋根全体を覆うにはとても足りないが、仕方ない。
まもなく大粒の雨がバタバタという激しい音を立てて降り始め、空が割れるような雷が鳴り始めた。あまりにすごいので、私はカメラを持ち出した。
20:00くらいまではほの明るい夏のハヌパタで、19時台なのに真っ暗なのが怖い。19:43、稲光が光る村をISO1000、F/10、20秒間の露出で撮った。何回もの稲光で、山も仏教旗タルチョックも写っている。

[5回]
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