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リグジン・アンモの、旅のトランク。

辺境に心惹かれる大学生の旅の記録を、トランクに投げ込むように。

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2010ラダックの日記、洪水。2

それにしてもラダックの家は、とことん雨向きに出来ていない。

大体の家の屋根はフラット型かプール型(と私は呼んでいるが、要は屋上があり、その周りが薪を干すための台となっている)なので、大量の雨水を逃す術がない。都会の新しい家には、申し訳程度の雨樋があるが、古い家の多いハヌパタには少ない。

屋根に溜まった雨は、必然的に部屋の中に降ってくるのである。特に、その時私が滞在していた部屋は雨がそのまま降ってくる部屋だった。

私は眠るに眠れず、荷物の全てを部屋の隅にまとめて積み上げ、部屋の中央の柱と窓際の出っ張りを麻ひもで渡し、緊急用のアルミシートをその上に掛けて、その急ごしらえのテントの中で、一晩中三角座りですごした。寝台代わりのマットの周りには雨水が溜まり、部屋の中なのに島のようになっている。


(かなり水が引いた後。朝は写真どころではなかったので。)

カメラに水が掛からないように抱きかかえて身を縮める。アルミシートにはぼとぼとと茶色い水が降ってくるし、水は冷たいけど濡れた服は蒸れて暑いし、ダニはキレそうなくらいかゆいし、外からは何かが崩壊するゴロゴロという音がひっきりなしに聞こえる。どうして良いやら分からない不安な気持ちで迎えた朝日は、涙が出るほど嬉しかった。


外に出てみると、この異様な夜の間に色んなことが起こっていたことが分かった。
村はずれのキャンプ場にテントを張っていたネパール人労働者の男の子たち、欧米人トレッカーが村に来ている。みな一様にぐったりと疲れた顔をしている。村唯一のゲストハウスに明らかに収容能力を超えた人数が休んでいたらしかった。
家の人に聞くと、22:00頃にキャンプ場へ水が流れこみ始め、危ないと判断したトレッカー、労働者ともに村へとやって来たあと、そこに土石流が起きたという。あと少し判断が遅ければ、みんな流されていた、と誰かが言った。

人は全員無事だが、馬5頭、テント10張りと荷物の多くが流され、広いキャンプ場は土石流で壊滅状態。生活用水、農業用水の要である水路が全く埋まってしまった。
そして、ハヌパタから中心都市のレーに向かう道も、より奧へ行く道も土砂崩れで埋まってしまったらしい。


(大雨2日目)

夕方、壊滅したというキャンプ場を見に行った。まず、村から村はずれのキャンプ場に行くまでの道がめちゃめちゃになっている。歩いていく、というよりか岩を乗り越えていく部分あり、泥に足がのめりこむところあり、といった感じだ。

キャンプ場は岩石に埋まっていた。
山の上から大小の岩がなだれ落ち、全てのものを覆い隠し、岩ばかりの世界に変貌させていた。テントを張るためのキャンプサイトも、道路も、小川も、美しかった川原も、すべて土石に飲み込まれていた。

  
(1枚目、なだらかに見える奥の部分が全て岩石で埋もれているところ。2枚目、工事現場も重機も土砂崩れに巻き込まれて呆然とする労働者。3枚目、2階建てだったトイレの残骸。)


4頭の馬が、岩にうずもれて死んでいた。空に足を向けている馬もいた。5頭じゃなかったのか、と思って辺りを見回すと、石壁の向こうにガクガクと身体を震わせながら立っている1頭の馬がいた。なぜ立っているのかが不思議なくらい、憔悴していた。座ることも出来なかったのかもしれない。私には、見守ることしかできなかった。もちろん村人も知っていたが、何も出来なかった。次の日そこに行くと、馬は硬直したまま倒れて、死んでいた。




その夜も、雨は降った。私は自分の部屋の状況があまりにも悪い、と言うことで隣の家に泊めてもらえることになった。一部屋に、子ども6人、大人3人、私の総勢10人で寝た。
ここは雨が降り込まないし、隣で眠っている子どもの体温も温かい。しかし、上流から巨大な岩が流されてくるゴロゴロという地響きにも似た低い音、そして対岸がどんどんと崩され、崖になっていく崩落音が耳について、やはり一晩中眠れなかった。この雨の中、一番ストレスになったのはこの防ぎようのない音たちだった。
特に暗闇の中で聞くと、何が起こっているのか確認できないし不安でしかたがないのだ。


朝、5:00に起きあがり、外に出た。雨はやんでいる。今までのハヌパタではあり得なかった湿り気のある朝だ。

一昨日まで対岸は崖ではなかったのに、今や真新しい土の色が露出し、向かいから流れてきている川は突如として断ち切られて、濁流へとまっすぐに落ちていく。あれほど透明でキラキラしていた川は、今は泥色になってうねっている。そこにはやはり岩が流されてきているようで、ゴロゴロという大きな音が谷中に響いていた。

 
(大雨3日目。対岸が削られていく。)

目の前の風景が、音を立てて削り取られていく様を眺め、しばらく立ちすくんでいた。
時折、対岸の濁流に接している部分が削りとられ、耐えられなくなった地面が、音を立てて川の中に崩れ落ちていく。
巨大な岩が山の上から転げ落ちてきていて濁流の流れを乱し、歩いて10時間もかかった山向こうの村から流れてきたと思われる大きな木が泥流の中でのたうっていた。

見慣れた風景が、目の前で壊れていく。家に戻る途中、同じように外に出ていたドルカル姉さんに声を掛けられた。幼い赤ちゃんを抱きかかえた彼女の目にも、涙が浮かんでいた。
ふたりとも、何も言葉に出来ず、しばらく一緒に村を眺めていた。しばらくしてだんなさんのティンレス兄さんが来たが、昨夜は大丈夫だったか、という確認だけしてやっぱり黙ってしまった。

ハヌパタの人はよく、「ハヌパタ デモ ラガ?」と聞く。これは「ハヌパタはきれいだろ?」というような意味だ。彼らは自分の村の美しさに自信を持っていた。それがどんどん崩されていくのだから、悲しみは深かった。

初めてハヌパタに来た時の、岩山と岩山の狭間に透明な水が流れ、川辺に青草が茂り、あたたかく降り注ぐ光の中に可愛らしい花々が咲き乱れていた、あの夢みたいな景色はどこにも見当たらない。その場所も、根こそぎ流されてしまった。とても、同じ場所だとは信じられないし、信じたくない。


昼過ぎに、私が最初にお世話になっていた家へ顔を出した。この家の麦畑が3つ、流されたと言って、お茶を出してくれながらお母さんが泣いた。この家の麦畑は川沿いに多かったことは、私も知っていた。

この村で流された麦畑は、全部で6つ。
年一回の収穫に向けて端整こめて育てていた麦、数百年、幾世代にもわたって受け継がれてきた畑が、たった一晩にして流されてしまったのである。この岩山の中で、土地を使えるようにするために、何百年、もしかすると何千年、一体どれだけの努力が積み重ねられてきたのだろう。
本当に、岩と雪解け水しかない村なのだ。土壌が豊かで、水もふんだんにあり、温暖な日本とは正反対の世界なのだと思う。


(この畑も斜面をかなりよじ登ってこなければならない。)

大地は固く、つるはしも容易に入らないことはすでに知っている。10センチ掘るのも岩と固い土との戦い。川から、斜面の畑まで何キロにも渡って石を積み、水路をつくり、畑にする土地を耕し、水を継続的に入れ続けての畑なのだ。

少し離れた村でトレッカーがふたり流されたこと、以前トレッキングで滞在した隣村のフォトクサルで家が2軒流されたことも聞いた。


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