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リグジン・アンモの、旅のトランク。

辺境に心惹かれる大学生の旅の記録を、トランクに投げ込むように。

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2010ラダックの日記、洪水。4

話は戻るが、私はこれらの過程においてハヌパタのひとつの自立したコミュニティとしての線引きを見た気がした。
何キロにもわたる水路や、川にかかる橋、畑、設備としての村。自分たちが作ったものは自分たちでメンテナンス出来る。







(1枚目はハヌパタ、見えないが山の中腹部と川沿いに水路が延々と続いている。2,3枚目はラダックの道路、ほとんどが出稼ぎに来たネパール人やビハール人たち、少々のラダック人によって作られている。)


(ちなみに働いているネパール人たち。大学生の私と同い年の人、もっと年下も多そうだった。ラダック西部の道路工事現場では、ほこりと日焼けで真っ黒になった彼らをよく見かける。)

しかし道路は、住民の要望でできてはいるが、政府が作ったものだ。そこは、彼らの力の及ぶ管轄ではない。そして必要ではあるが、なかったら生活できない、というものでもないのだ。(無かったら私はあの村まで行けなかったので、ちょい小声で。)

彼らは、自分たちに必要なものは、自分たちで作ってこの地で生きてきた。ということは、生きていくのに必要なものは自分たちで整えられる用意があるのだ。
彼らはインド軍が救援物資を持ってきてくれることは、はなから期待していなかった。それは、本当は自分たちの作った作物で生きていけるからだ。
「村」という生命維持システムを自分たちで作り上げ、維持していく。
出来る範囲で暮らしていく、自分の手の届く範囲で暮らしていくということが、モノが溢れていなくても、お金は無くても、こんなに安心感をもたらすものなのだな、と思う。


ラダックでも村の形態はそれぞれで、隣村だろうが村によって全然違う風景がそこにはある。
しかし、ラダックの田舎の村が「コミュニティメンバー全員で生きていくこと」そのものを目的としているコミュニティである、というのは共通しているのだと思う。

これらの目的を達成するために器として作られたもの、それが「自分たちでつくり、自分たちでメンテナンスしていける設備としての村」ではないだろうか。
何が無くても暮らしていけて、何が起こっても自分たちで治せるもの。ある意味で、自己治癒力を持った生き物のようなあり方である。

人のつながりとしてのコミュニティと、村の設備としての概念が混乱していると思われるかもしれないが、実際このふたつを切り離すことは出来ない、というか人と人の関係が成り立っていないところに、そういうものが出来上がることはないと思う。


日本に帰ってから、タクマチクというけっこう被害の大きかった村にステイしていた友人の話を聞いたが、洪水が起こって、いくつかある橋が全て流されてしまい、外部との行き来ができなくなったときに、パニックに陥ったのはやはり外国人トレッカーだけだったという。


<生き延びるコミュニティをつくるために私が大事だと思う条件>
1 自分たちの手でつくる、自分たちの技術でメンテナンスできる
2 物流が途切れてもその範囲内で暮らしていける、コンパクトだけど包括的な生活システムがある(食糧生産、ソーラーパネルによる電気・水の自給、コンポストトイレなど村の中で自然との循環サイクルを作る。)
3 みんなで責任を共有する
4 一番大切なこと、コミュニティの核にあることは「全員で生き延びること」


村の生活の持続にはコミュニティメンバー全員の参加が欠かせない。
そのため、ハヌパタでも家畜の放牧などは全ての家が交代で行っている。
誰かがお金を払って誰かに委託する、なんてことはない。コミュニティに対する最大の貢献は、「労働」そのものであるからだ。それによって多少のいがみあいが起ころうとも、簡単には離れられなくなる。逆にいえば、みんなに居場所が与えられている。

都市と農村ではそもそも存在意義が違うし、都市の中で農村的コミュニティが構築されることはないだろう。ただ今後、人々が都市から農村へとまた流れることはあるかもしれない。
その時に、ラダックのコミュニティのあり方は参考になるのではないか、と思う。
もちろん、日本の伝統的な村も、かなり近いあり方であったとは思うのだけれど、今は機械化などで失われてしまったことが少なくないのではないだろうか。

最後に、しあわせな収穫期の話。


水路と橋の復興が終わって一週間ほどたって、いよいよマメと大麦の収穫期に入った。
一日畑で素手でマメと大麦を引き抜いていく。(男性陣は時には月明かりの中夜11時まで収穫と移動をしていた!)
あかぎれは痛かったけど、無事に収穫できたことの喜びは大きかった。半分泥で埋まってしまった畑にも行った。半分だけでも残ったことを感謝した。

全ての収穫を終え、収穫物を太陽にあてて干す。
脱穀作業のため、山から20頭以上のヤクたちが帰ってきた。ヤクがこれほど巨大な動物だとは思っていなかったので驚いた。穏やかなのもいれば、暴れん坊もいる。この巨大な動物に収穫したマメと麦を踏ませ、殻から実を押し出すのだ。

 
(女子禁制の初穂儀礼。聖樹のヒマラヤ杉の1本が女神様だからだとか。枠の中にはいっちゃダメなだけみたいで、写真はOKだった。)



















収穫期は朝から晩まで忙しかったけれど、充実した時間だった。
私はハヌパタに行った後、別の村に一週間行く予定を立てていたのだが、それをキャンセルした。ハヌパタでも収穫期はその日ごとに作業内容が変わっていくので、出来るだけ多くの仕事を流れとして体験してみたかったからだ。


収穫期に来たNGOジュレーラダックのスカルマさんは、あかぎれだらけの私の手足を見て、日本人じゃないね、と言って笑っていた。


ちなみに道の話だが、洪水から2ヵ月後、私が帰る直前にNGOジュレーラダックの呼びかけによって土砂崩れの部分を迂回する道を、急遽川の中に作ってくれ、ありがたいことに私はハヌパタからレーまで車で帰ることが出来た。

以上が私がラダックのハヌパタ村で遭遇した洪水の一部始終だ。
ちなみに2週間ほど前、道路工事の責任者のおじさんからメールが来て、中断されていたハヌパタでの仕事を再開するそうなので、そろそろ始まっているのかもしれない。夏にはハヌパタより奥まで道路が通るだろう。数ヵ月後、数年後には奥の村までバスが通るかもしれない。
バスが通るようになると、現代文明が入り込むのだということを、私は自分の目を持って見た。
今はコンパクトで強い、生き延びるためのコミュニティも、現代的なモノや考え方が入っていく中でまた変わっていく。

数年後、数十年後、ハヌパタはラダックは、日本はどんな姿をしているのかなぁと、またぼんやり思う。


おしまい

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